ただの戯言

埼玉、長野で育った人。

手抜き介護を実現するために

常日頃、親の介護をいかに手抜きするかを考えている。

というのも、この仕事に就いてから介護の様々な現状を耳にしたり体験する機会があり、なんとかしてそれを避けたいと思っているからである。

と言うと無責任に聞こえるかもしれない。実際責任感がある方ではないが、どうも楽な方に逃げたいと思ってしまいがちである。

とはいえ、今から親の介護をする気満々でいられてもいつか煮詰まるだろとも思うが。


さて、そんな口ばかり達者でも仕方がないので、昨日は某セミナーで介護の講演を聞いてきた。

内容は介護負担を1人で背負わないようにする対策方法など。

今まで介護費用って子どもが負担するものだと思っていたのだけど、そうではなくて親の負担できる範囲からやり繰りすることが大切だと知った。

そうか、だから親の財産を守らないといけないのか!

各種詐欺に引っかかって財産が無くなってしまったら全てパーである。

また、普段から親とのコミュニケーションの中で老後の希望を聞いておくことが大切だと話されていた。

今はエンディングノートなどを使えば、生前に希望を聞いておくことが出来るけれど、あからさまに「これ書いておいて」とも言いにくい。特に元気なうちは。

今度実家にあったらそれとなくリサーチしておこう。

後はやはりお金は大事で、遠方からの交通費も誰が持つかははっきり決めておいた方が良いらしい。

結局揉め事の種はお金なんだろうな。


講師の先生の話がとても面白かった。

今の仕事に就いたのは全て親の住む自治体の介護システムの仕組みを知るためなのではないか!?と勘違いする程ためになった。


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今日はこれを手に入れた。

なんやこれ、最高じゃないの。


AFP再認定

戯言のように思ったことを書こうと始めたブログであるが、いろいろと書きたいことが出てきてしまう。それも割と仕事中に思いつくのだ。仕事に集中しろという話だけれど。この仕事を始めてからもう2年半ぐらい経つけれど、前職より考えることが多くなった。意思を持てない仕事だからかもしれないが、確実に鬱憤が溜まっているのでどこかに吐き出したいと思ったこともブログを開設した理由の一つなので今日もつらつらと書いていこうと思う。しかし私は文章を書くのが下手だ。自分の文程読みにくいものはないと思う。


家に帰ったら、AFPの修了証が届いていた。前職の時に取得をしたけれど辞める時に退会していたのでこの度無事再認定された。こんな人いるのだろうか。再スタートの第一歩と言ったら聞こえは良いが、具体的にはまだ何も決まっていない。とりあえず勉強をし続けようということだけで受けてみたのである。もう一回言うがこんな人いるのだろうか。なんだか回り道をしすぎてしまったけれどその分頑張ろうと思う。入社前にこの資格を取った時は使い道も何も分からなかったけれど、今になってお金や制度に対する知識がついたので勉強をしてよかったと思っている。今の仕事に活かせている部分もあるし、今年になってちょっと活かせたこともあった。まあ頑張りましょうこれからも。


しかし自分の文章は何を言っているかわからない。もっと精進せねば。何事も。

朝からこんなことばかり考えている

ここ数日のテーマソングは、DIR EN GREYのDeityである。昔は90年代の主要ヴィジュアル系のなかで唯一ディルだけ通ってこなかったという程なのに、今考えるとなぜ通らなかったのかがわからない。人の音楽の趣味は割と簡単に変わるものだ。そういえば私はガゼットも通らなかったが、最近ハマってよく聴いている。それも異端芸者だ。2018年にこれを聴いているなんてロックだなぁなんて、自画自賛してしまう。年代的には、異端芸者をかじるかかじらないかの狭間だが、当時の私はアー写を見ただけで音楽を聴かずに過ごしてしまった。なんとももったいない体験である。もしかしたらあの時ガゼットを通っていれば、今聴いている音楽も違ったかもしれないなぁ。中3の私は、まさか10数年後もヴィジュアル系を聴いているとは思わないし、それも時代を遡っているだなんて想像しないだろう。同時に、ヴィジュアル系を好きだと普通に公言できる時代になったことも想像しないに違いない。友達にすら隠していたあの頃は、もはや今の中学生からすると考えられないのかもしれないなぁ。マイナーな趣味を堂々と公言できる時代になったことは良いことだと思う。好きなバンドが解散してからは、もともと好きだったバンドのライブにばかり行っていたけれど、最近ようやく新規開拓出来そうな音楽に出会えたので、近々ライブに行ってきます。



やっぱり黒夢は良いよねー!

最近気づいたこと

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高速道路が好きで、特に複雑なものを見ると写真を撮ってしまう(この写真は以前神戸で撮ったもの)。

なぜ高速道路が好きなのか考えたことはなかったが、先日その理由がわかる出来事があった。


職場で、「自分が生まれたところが一番住みやすい」という話になった。

きっかけは、上司の知り合いで島に移住をした人が、気候が合わなくて数年で戻って来てしまった話からだった。

私はそこまで気候を重視したことがなかったので、気候って大事なんだなぁと思いながら話を聞いていた。

それは私が今まで育って来た環境が、基本的に晴れといったら青空が広がるような所だったからかもしれない。

しかし、そうでない環境に住んだ経験があれば、カラッと晴れた青空が見たいと思うのだろう。


そこで高速道路の話に戻るのだが、振り返ると私にとって高速道路は身近な存在だった。

生まれてから小学一年生まで、俗に言う首都圏(と呼べるかは危ういが)で育ってきて、親が休みの日にはよく首都高速で東京方面に連れて行ってもらっていたからだ。

高速から見える「静かに」の青い看板の「かに」に反応していた話はよく聞かされる。

そして車内からライ◯ンズマンションが見えるとなぜか喜んだ記憶がある。

なので今でもライ◯ンズマンションは私にとって東京の象徴でもあるのだ。

東京だけではなく、大都市の高速道路を通ったり、その側を歩いたりするとちょっと落ち着く自分がいるのは、身近な存在であるからかもしれない。


小学校二年生の時、中部地方の都市に引っ越してからは、レジャーといえば山になった。

山はある一定の所まで登らないと、民家すら見当たらない場所もある。

私が山を好きではない理由は、なんとなくどこか遠くへ連れ去られてしまいそうな感覚に陥るからかもしれない。

景色が山しか見えない、何もない風景が怖いと思っていた。

更に、運が良ければ動物が出てくることもある。

それを楽しんでいる人ももちろんいるのだが、どちらかというと自然と共存している環境が苦手なのかもしれない。

山に行くと不安になる。

まあ誰にも言ったことはないのだけど。


しかし、そうは言っても雪山は綺麗だと思うようになってきたから、歳をとって変わった部分はあるのかもしれない。


自分を客観視すること

中一の時の道徳の時間に、「今の自分をもう1人の自分はどのように思うか」という課題について作文を書く内容の授業があった。

要するに、今の自分を客観視することが趣旨なのだが、これがまた難題だった。

 

周りのクラスメイト達が何を書いていたのか知らないが、忙しくペンを走らせる音がシンと静まった教室に響いていたことが脳裏に浮かぶ。

そんな中、私はペンが進まなかった。

そもそも自分を客観視した経験があまりなかったからだ。

 

「もう1人の自分って誰だ!?!?!?」

 

ひたすら自問自答の繰り返し。

50分の授業時間が、2時間にも3時間にも感じる程長かった。

 

結局私は、A4サイズの藁半紙に「もう1人の自分は今の自分を冷静に見つめていると思います」の一文しか書けなかった。

なんでこんなことを書いたのかは覚えていないが、とにかく何かを書かないとという焦りがあったのだろう。

きっと担任も理解に苦しんだに違いない。

どう捉えられたかは、知りたいようで知りたくはないな。

 

担任がどうしてこのような文を書かせたのかは大体想像がつくだけに、腹の中を探られるのが嫌だったのかもしれない。

それにしても、もう少しストレートに授業内容を展開すれば良いのにどうしてこうなったのか…。

まあなんとも変わった先生だったな。

 

進路決定や就職活動で、自分を客観視しなければならない場面は多々あったけど、本当に自己分析が出来るようになったのはここ最近のことだ。

今の仕事は、物事を考える機会は多いけれど、発信をする権限はない。

それだから余計に自分の意思を持つことが大切だと思うのかもしれない。

 

ちなみに今の自分を客観視した結果、物事に対するこだわりが少ないことに気づく。

今ならあの作文も紙いっぱい書けるだろうか。

 

 

 

 

 

 

fire signバンドに目覚めたあの頃によく聴いていたのはBUMP OF CHICKENユグドラシル原点はこれだなー。

fire sign

 

 

 

 

最近思うこと

名前を公開して文章を書くと、そのイメージ通りの文を書かなければ…という衝動に襲われる。



昔、「文章と実際のイメージが違う」と言われたことがあった。

小学生だったのでもう少し稚拙な表現だったけれど、それ以来そんなつまらないことを気にするようになってしまった節がある。


たしかに文章は人を表すものなのかもしれない。

文章を読めばだいたいこういう人なのだろうと想像はつく。



しかし、文章は冷たくても、実際に会ってみると人当たりが良い人だったということも少なくはない。その逆も然り。

学生の頃は、直接会って話すのが面倒で、ついメールやLINE(大学2年ぐらいから主流になった)に頼りがちだったけれど、社会人になると文では真意を伝えられない出来事に数多くぶち当たった。


最近では、直接会って話した方が楽だと思うようになってきている。

もはや、文章よりも直接会った時のイメージの方が大切なのかもしれない。



近況といえば、HYDE氏主催のハロウィンパーティーに行ってきた。

HYDE氏とsakura氏の共演を目の前で見ることが出来た。

あんまり言ったことがないが、私はsakura氏時代のラルク曲が好きだ。

flowerのPVを見たいがために、カラオケで選曲してしまったりする。

思いは様々だが、お二方の共演を平成最後の年に見れるとは思いもしなかった。

「平成最後」とよく使われているけれど、もはやこの日のための言葉なんじゃないかと思ったぐらい。

なんなんだもう!毎日がハロウィンなら良いのに!


渋谷のパリピ達のせいで嫌いになりかけていたハロウィンを少し好きになった1日だった。

初めて聴いた瞬間を忘れられない音楽

はてなブログの存在は知っていたが、使ったことはなく、なんとなく好奇心で始めてみた。



音楽のいろはは『SCHOOL OF LOCK!』で教わったと言っても過言ではない世代の私にとって、やっぱりこの番組で知った曲やアーティストとの出会いは大きい。


その中の1つが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『アフターダーク』である。アフターダーク

アフターダーク

リライトや君という花よりも先にアフターダークからアジカンを知った。
発売当時はよく番組内でも流れてたなー。
余談だが、学生時代軽音部に入った私が、アジカンのコピーをすることになり、この曲を選曲したのは随分後の話。