自分を客観視すること
中一の時の道徳の時間に、「今の自分をもう1人の自分はどのように思うか」という課題について作文を書く内容の授業があった。
要するに、今の自分を客観視することが趣旨なのだが、これがまた難題だった。
周りのクラスメイト達が何を書いていたのか知らないが、忙しくペンを走らせる音がシンと静まった教室に響いていたことが脳裏に浮かぶ。
そんな中、私はペンが進まなかった。
そもそも自分を客観視した経験があまりなかったからだ。
「もう1人の自分って誰だ!?!?!?」
ひたすら自問自答の繰り返し。
50分の授業時間が、2時間にも3時間にも感じる程長かった。
結局私は、A4サイズの藁半紙に「もう1人の自分は今の自分を冷静に見つめていると思います」の一文しか書けなかった。
なんでこんなことを書いたのかは覚えていないが、とにかく何かを書かないとという焦りがあったのだろう。
きっと担任も理解に苦しんだに違いない。
どう捉えられたかは、知りたいようで知りたくはないな。
担任がどうしてこのような文を書かせたのかは大体想像がつくだけに、腹の中を探られるのが嫌だったのかもしれない。
それにしても、もう少しストレートに授業内容を展開すれば良いのにどうしてこうなったのか…。
まあなんとも変わった先生だったな。
進路決定や就職活動で、自分を客観視しなければならない場面は多々あったけど、本当に自己分析が出来るようになったのはここ最近のことだ。
今の仕事は、物事を考える機会は多いけれど、発信をする権限はない。
それだから余計に自分の意思を持つことが大切だと思うのかもしれない。
ちなみに今の自分を客観視した結果、物事に対するこだわりが少ないことに気づく。
今ならあの作文も紙いっぱい書けるだろうか。