ただの戯言

埼玉、長野で育った人。

重い話を書く時は明るいオチがほしい

兎にも角にも、集団で食事をすることが苦手である。小学生の頃から、給食の時間クラス全員で同じ教室で食事をすることが苦痛だった。通っていた学校では、班の人たちと机をくっつけて食事をとることが慣習化しており、大して仲良くもないクラスメイトの顔を見ながら食事をすることがよりストレスであった(多分相手も私の顔なんか見て食事をするのが苦痛だっただろうそれはお互い様か)。


時は過ぎて、今の職場での初日勤務で何が一番嫌だったかというと、仕事よりも職員全員で一緒に食事をとらなければならないことだった。あれは衝撃を通り越して今すぐここから逃げ出したいぐらいだった。大人になってまでもこの苦痛を味わうことになるなんて考えたこともなかった。人の弁当なんか見ないでくれ。本当に苦痛だから。


しかし、ここまでくると「何故自分は集団で食事をするのが嫌なのか」と解決できなかった疑問が湧いてくる。少人数で食事をすることは好きなので、なぜ集団になると途端に逃げ出したくなるのか自分でもわからなかった。ただでさえ縛られた環境にいるのだから食事の時間ぐらい自由に好きなものを食べさせてほしい気持ちもある。基本的に人が何を食べていようと興味がないから、相手の食事に干渉してくる人をシャットダウンしがちな面はある。


そこで幼い頃からの食事の習慣を振り返ってみたのだが、その中で家族との個室での食事も苦手なことに気づいてしまった。旅行に行くと、ごく稀に家族だけで個室での食事をする機会があったが、私はああいう場がどうしても苦手なのだ。逆に言うと、ファミレスなどの他人がいる場で家族だけで食事をとることは何とも思わないのだけれど。親戚の集まりでもそうだが、身内しかいない空間になると、失礼な態度の取り合いになりがちになっちゃうよね。余計な気を使ってしまって、相手から見て良い子でいなければならないのが荷が重いのだけど。


学校も職場もそうだが、個室で限られた集団で食事をすることは、公共性がなくなると思う。たとえば、他人がいる公共的な場では許されないことが、個室で外からの目が無い場では許されてしまう。いじめや虐待、パワハラもそうだが非公共的な場で起こりがち。集団が内に向いているような空気が苦手なのかもしれない。うん、何を言っているのかさっぱりわからない。


とはいえ少人数で食事をすることは好きです(何をわがままな)。また飲みに行きましょう。