ただの戯言

埼玉、長野で育った人。

状況が変われば共感も生まれる

それは笑いに変えられない - ただの戯言

 

昨日はこんなことを書いたけれど、今日は「おばはん勘弁してくれ」と名付けるのに相応しい1日だった。状況は違うけれど、某芸人のようにインスタライブで「酔った勢いで言うけれどそこのおばはんよぉ」と言いたくなるぐらいだ。そういう風にメディアで暴言を吐くことは宜しくないが、言いたくなる芸人の気持ちはよく分かった。人や制度のせいにしてなすり付け合いをする前に、次こうならないような対策を立てたらいかがか。喉元まで文句が出てきていたのによく我慢した。期限が早すぎて間に合わないのであれば私の責任だから謝るけれど、期限を守ってやっている人がいるのに後出しにヘコヘコするわけにはいかないでしょう。私にしては珍しく一言言ってやったから(優しめに)少しは懲りてほしい。本来自分は口に出した発言がことごとく炎上するタイプだけれど、この職場ではそういう部分を抑えている。(炎上ネタは炎上しない程度に後日ネタにしようと思う)

 

FPジャーナルが届いた。

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恥ずかしながら前職の頃は届いても読む時間がなくて隅々まで読んだことがなかった。いや、読む時間はあっても読もうとしなかったのか。それはさておき、為になる内容も多いので頑張って読み進めます。

 

それは笑いに変えられない

某芸人の動画を観た。まず酔った勢いで苦言を全世界に発信することが間違っていると思う。酒が入っていれば普段言えないことを言って良いわけではないし、イキっている若者が身内ノリで動画を配信している風にしか思えなかった。いい歳したおっさん達が何をやっているのか。「酒と女」ではなく、「Twitterとネット配信には気をつけろ」な現代社会。動画の中に更年期というワードも出たが、この一件のどこにその言葉が当てはまるのかが分からない。当人にしてみたら単なる悪ノリだったのかもしれないが、メディアに出ている以上はもう少し気をつけてほしかったと思う。

 

ただ思ったのは、女性は物事に対して感情的になりやすいこと。もう少し客観視出来ないのかと思うぐらい感情的に怒る女性って案外多い。後、仕事の過程で結論だけを聞きたいのに「自分はこう思ったんだけど」と感情を伝えてくる人。いや、結論だけで良いやん貴女の気持ちは関係ないやんって言いたくて仕方がない。プライベートの悩みであれば感情な部分も気になるけれど仕事にそれ要る!?みたいな。まあ感情的になりやすいのは女性だけではないと思うし、男性でも同じような人がいるから一概には言えない。職場は常に感情と論理がぶつかる世界。会話一つ聞いていても感情的になってる瞬間って分かりやすい。

 

しかし、ジャルジャル残念だったな。おばはんおばはん言ってるコント好きなんだよね。これも私の感情だけれど。

食レポが出来ない人がカレーについて語る

ここ最近、はなまるうどんに行くとカレーを注文するのが定番化している。

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麺屋のカレーってなんでこんなに美味しいのだろう。ちなみに富士そばに行ってもカレーを注文する率が高い。コクがあって美味しいからついリピートしてしまう。

 

カレーといえばここも美味しかった。

鉄腕DASHで紹介されていたお店。

家庭のカレー風な印象を受けた。



 

でも一番のお気に入りはここ。

学生時代はよくお世話になりました。

カレーショップ C&C 新宿本店

食べログ カレーショップ C&C 新宿本店

 

SNS全入社会

SNSを1日30分に制限すると精神面が大幅に回復 研究結果を発表 - ライブドアニュース

 

いろいろ思うことはあるけれど、SNSでストレスが溜まるなんてひと昔前は考えられなかった。むしろ、学校で目立てない陰キャにとっては匿名で自分を出せる心地よいツールだったと思う。

 

自分はというと、人のSNSを見てイライラすることはほとんどない。大して何とも思っていないことが大半である。割と「読了」と同じ意味で「いいね」を押していることが多い。むしろ「いいね」は「みました」スタンプ的な存在で良いのではないかと思う。SNSなんて常識の範囲で好きに投稿すれば良いし、そんな場でも人の目を気にしているから生きづらくなるのだろう。

 

でも今はSNSでも実名で生きることを求められている。リアルな世界との陸続きな空間は、投稿する側も気を遣う。最近の中高生は、スマホを持ち出した時から匿名の心地良さを知らないのだろうなぁ。

想像できない未来の方が楽しいと思う

寝ている間に大阪万博開催が決まったそう。めでたいことですね。とてもわくわくします。というのも、今年は太陽の塔の内部公開に行ってきたこともあり、また大阪で万博が開かれることをなんだか嬉しく思うからである。

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(私の各種SNSに何回か載せたことがあるので、またこの写真かと思っている人もいるだろう)

ちなみに万博記念公園駅はこんな感じ。

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大阪万博開催予定地の夢州は、2015年にラルカジノが開催された地でもある。私は行かれなかったけれど、その地で万博が開かれるなんてドエルは歓喜ですよ。改修前の国立競技場、万博前の夢州でライブを開催したL'Arc〜en〜Ciel様様。万博開催時には夢州でライブが開かれたら面白い。

 

太陽の塔の話題に戻るけれど、今まで訪れた建築物の中で一番印象に残った。語れるほど観たわけではないが、素人の私からしても何か歴史を感じるものがあった。人類は永遠に終わらないというメッセージと共に、出来すぎた未来を感じた。おそらく1970年の人は、ドラえもんの世界のような未来を予想していたのかもしれないが、実際の所未だそんな世界は訪れていないと思う。技術は進歩しているけれど、人間の生活は何も変わっていないのかもしれない。なんてことを思った次第であった。未来を想像することは楽しいけれど、割と100年後も大して生活は変わらなかったりして。

 

そういえば、中学生の頃に開催された愛・地球博に行きたいと思っていたが、結局行かれなかった苦い思い出がある。

 

 

当時はこんな曲が流行っていた。

 

重い話を書く時は明るいオチがほしい

兎にも角にも、集団で食事をすることが苦手である。小学生の頃から、給食の時間クラス全員で同じ教室で食事をすることが苦痛だった。通っていた学校では、班の人たちと机をくっつけて食事をとることが慣習化しており、大して仲良くもないクラスメイトの顔を見ながら食事をすることがよりストレスであった(多分相手も私の顔なんか見て食事をするのが苦痛だっただろうそれはお互い様か)。


時は過ぎて、今の職場での初日勤務で何が一番嫌だったかというと、仕事よりも職員全員で一緒に食事をとらなければならないことだった。あれは衝撃を通り越して今すぐここから逃げ出したいぐらいだった。大人になってまでもこの苦痛を味わうことになるなんて考えたこともなかった。人の弁当なんか見ないでくれ。本当に苦痛だから。


しかし、ここまでくると「何故自分は集団で食事をするのが嫌なのか」と解決できなかった疑問が湧いてくる。少人数で食事をすることは好きなので、なぜ集団になると途端に逃げ出したくなるのか自分でもわからなかった。ただでさえ縛られた環境にいるのだから食事の時間ぐらい自由に好きなものを食べさせてほしい気持ちもある。基本的に人が何を食べていようと興味がないから、相手の食事に干渉してくる人をシャットダウンしがちな面はある。


そこで幼い頃からの食事の習慣を振り返ってみたのだが、その中で家族との個室での食事も苦手なことに気づいてしまった。旅行に行くと、ごく稀に家族だけで個室での食事をする機会があったが、私はああいう場がどうしても苦手なのだ。逆に言うと、ファミレスなどの他人がいる場で家族だけで食事をとることは何とも思わないのだけれど。親戚の集まりでもそうだが、身内しかいない空間になると、失礼な態度の取り合いになりがちになっちゃうよね。余計な気を使ってしまって、相手から見て良い子でいなければならないのが荷が重いのだけど。


学校も職場もそうだが、個室で限られた集団で食事をすることは、公共性がなくなると思う。たとえば、他人がいる公共的な場では許されないことが、個室で外からの目が無い場では許されてしまう。いじめや虐待、パワハラもそうだが非公共的な場で起こりがち。集団が内に向いているような空気が苦手なのかもしれない。うん、何を言っているのかさっぱりわからない。


とはいえ少人数で食事をすることは好きです(何をわがままな)。また飲みに行きましょう。

SNSの匿名性が心地良い時もある

物事をマイナスにしか捉えられない日がある。そういう時って、ちょっとしたことでも滅入ってしまうし、自分の言動を振り返る機会にもなる。まあ実際は自分の中の問題だし、大したことはないのだろうけれど。案外少しのことを気にするタイプである。


しかしこの1週間は自分との戦いだったなぁ。ここにいる全員が情で働いているんじゃないかと思ってしまう程クソみたいな会議を聞いたり(言葉は悪いけれど本当にクソだった)、業務マニュアルを考えたりと、とにかく葛藤することが多かった。私の仕事は1人でこなすことが多く、多分一緒に働いている人は「あいつ座っているだけで金もらえて楽でいいなー」なんて思っているかもしれない。しかし実際は常に葛藤しているなんて誰が想像するだろうか。夕飯のおかずとか行きたいお店を考えていることもあるが、それを悟られずに働く振りをするのも大変なのである。この仕事をしていて良かったことといえば、臨機応変な電話対応が出来るようになったことぐらいだろう。出来ていると思われているかは知らないけれど。


そういえばSNSとリアルの区別が曖昧になったことを考えていた。昔は俗に言うネット弁慶のように、SNSでは普段とは違うキャラになることが容易だったけれど、最近では裏アカウントでも作らないとそうはなれないよね。SNSの世界がリアルの延長線沿いにある感じ。私も今では友人とSNSで繋がっているけれど、昔はSNSを知ってる人に公開することに抵抗があった。本当の自分に自信がなかったからだと思う。ツイッターでも「この人こんなこと呟くんだ」って思われるのが嫌でかなり自分を繕っていた時期があったけれど、今考えればSNSでそんなに神経尖らせなくても良かったと思う。そのぐらい人に自分を開くことには慎重になる。


このブログも私を知っている人が読んだら「こいつ何キャラなんだ」って笑われるんだろうな。ま、それは褒め言葉ですけどね。